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一体何だったのだろう。幾ら考えてもさっぱり解らない。
時空を超える船の中で彼女は頬杖を突いて眉間に何時もより深い皺を作っている。その理由はたった一つだけで、彼女があの世界を旅立つあの瞬間に彼から言われた言葉が原因だった。
「じゃあな」
そう一言だけ言い残して彼女は船に乗り込むべく歩き出している。もうこの地で立ち止まることも振り返ることもしないだろうことは彼女の性格明らかだった。しかし、不意に彼女自身の名前を呼ばれ、しかもそれが彼の声だったものだったからつい足を止めてしまった。
「 」
続いて彼女の背中に届いた言葉に思わず彼女は振り返る。
立ち止まった彼女の背中に届いたあまりにこの場にそぐわない言葉はどこか他人事の様で、聞き違えたかと思った彼女は思わず彼に声をかけようかとも思ったのだが、彼女の名を呼んだ張本人は彼女へ背中を向けてしまっている。
声をかけておいて何なんだ。とか、今何て言った?とか、その背に言いたいことはあったが、少し考えた後彼女は踵を返し船に乗り込む為また歩き出した。
そして、今に至る。
一体あの時、彼は何が言いたかったのか。
仲間の誰に聞いてみてもただ首を傾げるだけで、意図を知るヒントも明確な答えも見つかない。
「馬鹿馬鹿しい」
頬に添えていた手で頭をガシガシと掻きむしると、彼女顔を上げる。
こうやって悶々と考えていたところであの男の意図など理解出来るはずもないし、解って欲しいのならあんな態度はないはずだ。だったら忘れてやる。あの言葉も、お前の事も。もう二度と会うことはないのだから。
そう結論付けて、彼女は船が向かう先へと目を向けた。
********
いくつかの世界を救い、越え、彼女と仲間達がたどり着いたのは、夜の世界だった。
そこは昔、彼女達が住んでいた世界にある一つの国に似ていたが、その国と違うのは月が一つだけしかないということと、そこに住んでいるのは”獣人”だけではなく、彼女達と同じ人間も共に暮らしているということだ。
アニスの情報を探るべく仲間達と別れた彼女は一人、町の中を歩く。
横を駆けていく異種族の子供達がお互いの顔を見合わせながら笑いあっている。
売店で買い物を楽しむ妊婦に声をかけている獣人の店主は、どうやら荷物を運ぼう、と申し出ている様だ。
ここには閉鎖的でも、自分と違う種族を差別しようという排他的な雰囲気もなく、全てが当たり前だと言う顔で溢れている。不思議な既視感に彼女がフラフラと町の中を彷徨いながら歩いていると、どうやら町の外れまで来てしまっていた。これではアニスの情報どころか、仲間とも逸れてしまうかもしれない。
「…馬鹿馬鹿しい」
どこかで言った台詞を彼女が口に乗せて歩いてきた道を引き返す。
そうだ、酷く馬鹿馬鹿しい。自分は懐古主義でもないし、思い出に浸っている場合でもないというのに。
…思い出?何時のものだ。誰の事だ。
度重なるアニスとの過酷な戦いで昔のことなど過去の次元に置いてきた彼女にとって、この世界の何が自分の心を掴んでいるのか、何を思い出そうとしているのか彼女自身にも解らなかった。ザァザァと砂嵐が流れているように曖昧とした頭の中に、不意に光が差し込んだ。
それは、町へと戻る途中の小さな公園だった。一組の男女が小声で話をしていて、その男の言った一言が何故か、彼女の頭に光を呼んだ。
あまりの突然さに彼女がじっと男女の方を見つめていると、その視線に気がついた男女は彼女の方へと向き直る。そして、女の方が不思議そうに首を傾げた。
「あ…!いや…すまない!何でも無いんだ!」
我に帰った彼女はそれだけ言い残して足早にその場を後にする。残された男女はお互いに顔を合わせて首を傾げた後、微笑み合い、お互いの体をそっと寄せた。
何なんだ!何なんだ!!
町へと逃げ込むように駆け込んだ彼女は、上下する胸を押さえて壁に寄りかかる様にしゃがみこむ。
一体あの一言が何だというのだ。小さく呼吸を繰り返し、息を整えながら彼女は頭の中を整理する。
別段あの男が言った事は可笑しいということはないし、この世界には十分過ぎるほど似合っている。では何故、こんなにも胸が苦しくなるのだろう。
小さく歯軋りをして、眉間に皺を寄せる。そして、こんな言葉が何だ、と言う様に小さく言葉を発した。
「あらあら…!!」
驚いた、とでも言いたげな優しいしわがれた声が目の前からして、彼女が驚いて視線を上げると、小さな男の子の手を引いた老婆が立っていた。老婆は彼女と同じ人間のようだが、男の子の方は長い耳を持っている。
「おねいちゃん、だいじょうぶ?」
男の子が心配そうな瞳で彼女の顔を覗き込んだが、近づかれたことに気がつかない位混乱していたのかと思うと、少しだけ気恥ずかしくなった彼女はそれに頷くと視線を反らす。その態度に男の子の心が揺さぶられた様で、男の子は眉毛を悲しそうに寄せた。そんな男の子の頭を老婆は優しくなでると、その手つきと同じような優しい声で男の子に話しかける。
「お姉ちゃんは大丈夫じゃないけれど、きっと大丈夫よ」
「どういう、こと?」
その不思議な言い回しと言葉に男の子が首を傾げて尋ねる。それを見た老婆はいたずらっ子の様な顔で微笑んだ。
「だって、このお姉さんはお医者様では治せないけれど、きっと治せる病気なんですもの」
「!!どういう事だ!?」
自分が”病気”である、という言葉に反応した彼女がつい大声を出して老婆を見上げると、声に驚いたらしい男の子の肩がビクッと跳ねる。
「あ…!!す…すまない…」
驚かせてしまった申し訳なさに彼女が素直に謝ると、ううん、という声と一緒にクスクスと老婆の笑う声がして、それにまた恥ずかしくなってしまった彼女が俯くと、頭の上から老婆の声が笑い声と共に振ってくる。
「さっきの言葉を、貴方の大切な人に言えば、貴方の”病気”は治る。そうじゃなくて?」
「?どういうことだ…?」
「だって貴方、先ほど仰っていたわ。”月が綺麗ですね”って」
「!?」
今度は彼女が驚く番だった。さっき忌々しげに小さく発した言葉が彼女の”病気”を治す、ということにしてもそうだが、その挨拶の様な言葉を大切な人に伝えろ。というのは彼女にとって不可解な事以外何でもない。
馬鹿にされているとしか思えないその言葉に彼女が少しだけ眉間に皺を寄せると、老婆の影に隠れていた男の子がピョコン!と跳ね、嬉しそうな声を出した。
「あ!それ、パパもママに、いってるよ!!」
自分も知っている言葉が出て嬉しかったのだろう男の子は、一生懸命老婆に話しかける。
「まいにちまいにち、いってきますのときにいってるの!!」
「そうね。おばあちゃんもおじいちゃんに言われたし、言ったわ」
「そうなんだ!ぼくもパパとママにいわれるよ!!」
「あら、おばあちゃんも言ってるわよ?」
「うん!!ぼくも、おばあちゃんのこと、だーいすき!!」
ぎゅう、と抱きついてきた男の子の頭を撫でながら老婆は優しい瞳を彼女に向ける。
「ふふ…さぁ、貴方も大切な人にお伝えなさったらいかが?」
そう言いながら彼女を見つめる老婆の優しい光を持った紅い瞳に既に忘れてしまったはずの誰かが重なり、彼女は酷く泣き出したい様な気持ちになった。
「貴方を愛しています」
(解らなくていいから、私の気持ちを知っておいて下さい)
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元ネタは知る人ぞ知る夏目●石の挿話。